当院と東洋医学
総論
当院は主に解剖学・生理学などの西洋医学・科学ベースの身体観に基づいて鍼(ドライ・ニードリング)・マッサージを行っております。
東洋医学は、以下の前提のもとに議論が成り立っています。
「この世界のあらゆるものは全て陰と陽のいずれかの性質を持ち、木・火・土・金・水の5つに分類される」
→ 宇宙(世界)が陰陽と木・火・土・金・水からなる。人体は小宇宙だから当然、陰陽と木・火・土・金・水からなる。一年は365日だから人体にも365個のツボがある、といった具合です。
この”前提”自体が正しくないと個人的に考えているので、間違った前提の上にどんなに論理的あるいは緻密に議論を積み上げても意味が無い(*)ため、特別興味を持ったことはありませんが、日本においては鍼灸と言えば東洋医学というのが現実なので少し触れてみます。
ただし、今までの経験の積み重ねによって個々の症状に対してヒントを得ることができるといった帰納的な利用価値があることは否定しませんし、漢方の〇〇を飲んだら△△が治った、という個々人の体験を否定する気もありません。含蓄のある効果的なものも多いのは確かでしょうし、明らかに間違ったものも多く含まれているでしょう。
要するに当院の立場としては、そもそも世界・人体を正しくとらえているわけではないので病気や治療について演繹的に説明したり治療のやり方を引っ張ってくるような用い方はできないという事です。少なくとも、当院で行っているような痛みの治療においては全く役に立ちません。
(*)論理学の常識として”前提”が間違っていればその後の議論はたとえどんなに理論的であったとしても意味が無い。
もちろん、「科学」にもトーマス・クーンが『科学革命の構造』:1962(「パラダイム論」)で問題提起したように果たして真理なのか信念なのか?という話があるのは存じ上げていますし、自然科学の場合は数学などと違って”前提”となる公理自体が存在せず、”前提”は経験則で成り立っているのでここだけ見れば東洋医学と一緒じゃないか、という批判もあり得ます。
確かにそうですが、陰陽五行論の方は明らかにおかしいでしょう。。。と思うのです。何より自然科学では反証・検証(反証可能性:C・ポパー)という手順によって誤りが正されていく可能性が担保されているのに東洋医学では完成時=完璧なので修正不可です。この点が一番問題かもしれません。
東洋医学の流派: 大きく分けて2つある
鍼・マッサージの専門学校では必ず経絡・経穴を含めた「東洋医学」の基礎について学ぶことになっています。
東洋医学には大きく分けて2つの流派があり、一つは主流派である黄帝内経派、もう一つは難経派です。
前者は八網弁証等、独自の思考理論に従って体の状態を把握し治療すべきツボを決定します。
後者の難経派は脈を取って体の状態を把握し治療点を決めていく、というものです。
日本の事情~鍼の技術および文化歴史的な特殊性
日本において行われている鍼灸治療は海外から日本鍼灸と呼ばれていますが、鍼管を使うという技術的な独自性については有名です。基本的には上記の黄帝内経・難経のいずれか、あるいはミックスした考えに則って治療を行っているようですが、それ以外に理論的な独自性を持っているのか存じ上げません。たくさん流派があるので異議なく分類することは難しいかも知れません。
理論的な話ではなく、技術的な話ではありますが、一つ私が確信を持って言えるのは、日本の鍼で行われている押手(鍼を支える側の手)は最高の発明だということです。日本での一般的な鍼灸治療がそのような意図で行われているか不明ですが当院のようにミリ単位で当てるという事を本気で考えた時、この押手なしには不可能だと思います。
また、これも理論的な話ではありませんが、日本においては、鍼やあん摩は盲人が担ってきたという文化・歴史的背景があるので、中国・韓国などの「見て刺す」技法ではなく、悪そうな所を「触って刺す」技法が特徴的だとも言われています。大陸や半島の治療師がツボと言われている場所に、打つ前に触りもせずにポンポンと刺していく様子を何度か映像で見ておりますが、確かに普通の日本人の治療師の感覚からすると違和感を覚えます。きっとあちらの治療師からすれば、周囲を触って結局古典でツボと言われている場所から外れた所に刺している姿は「勝手に何をやっているんだ、ツボから外れているではないか」という風に見える事でしょう。ともすれば実験などで行われるシャム鍼(ツボを外して打つ鍼。ツボに刺した鍼との効果の差を見るために行われる。)とされてしまいかねません。
この点を含めた日本の鍼事情についてなぜか英国でのdry needling のテキストに分かりやすくまとめられており、また興味深い分析がなされているので参照させてもらいます。
出典は『DRY NEEDLING for MANUAL THERAPISTS 』( 著: Giles Gyer, Jimmy Michael, Ben Tolson)
以下、意訳(p.28~)
中国から思想や医術が持ち込まれた。…知られている一番古い資料の一つは、AD552年に中国の皇帝から日本の天皇に贈呈された鍼の本である。…
1635年に江戸幕府が鎖国をしたため長らく海外の影響からfreeであったため独自の発展を遂げた。結果、以下の特徴を獲得した。…
浅い鍼、少ない刺激を好み(preferring shallower needling and less stimulation )、…
最も興味深い事実の一つは盲人たちが鍼の発展の主人公であったことだ。盲人が鍼師というのは西洋人の我々にとってどこか奇妙(seem somewhat strange to us in the West)に映るが、彼らの触覚の敏感さを考えると理にかなっている。…
1680年に鍼とマッサージの学校が盲人のために設立されたがこれは世界で初の身体障碍者に対する職業訓練学校だ。…
杉山和一が発明した「鍼管」の影響で(細い鍼が刺しやすくなったため)「細い鍼」が日本でメジャーになった、…よって治療中の「響き」が無くても良いという考えになり、経穴のシステムは優しくて軽い刺激に反応するもの、と信じるようになった…
盲人が引っ張ってきた伝統ゆえ、洗練された感覚で触って刺入すべきポイントを決める、という日本の鍼灸を特徴づける方法ができた。場合によっては「理論」よりも、この触って治療点を探るというやり方は今の日本の鍼灸師にも受け継がれている。…
と解説されています。大変興味深い内容です。外国から得た知見を日本流に育んでいく長所がここでも発揮していますね。イザベラ・バードだったか忘れましたが誰かあの時代の紀行家・冒険家が”日本には盲人(眼病)が多い”というような記述を残していたような気がします。日本は(諸外国と比べて)差別が少なかった優しい社会だったと想像します。
東洋医学について思うところ
議論の前提となっている陰陽・五行論
経絡・経穴(ツボ)は、宇宙・世の中の万物は陰と陽に分かれ、小宇宙である人体も含めたすべての物は木・火・土・金・水の5つに分類できるという陰陽・五行説の土台の上に成り立っているのですが、独断と偏見で5つに分類していく強引さに強い違和感を覚えましたし、仮に宇宙がそうだとしてだから小宇宙である人体も一緒という、似ているから中身も一緒でしょ、という発想はとても洗練された物とは思えませんでした。
専門学生時代の「東洋医学概論」の講義は、あくまでも昔こんなことが言われていましたという”一般教養”としての教科だと途中まで信じて受けていましたが、どうやら本気の教科らしいと知った時には、いまだにこんな事を真に受けている人がいるのかと大変驚いたのをよく覚えています。(宇宙を語るときギリシア神話、自然を語るときアリストテレスの『形而上学』を勉強…とはならず一般教養ですね。)
F・d・ソシュール的視点
スイスの言語学者F・d・ソシュールが『一般言語学講義』で言語の恣意性について述べていますが東洋医学について考える際も同様にとらえることができます。つまり、人体も含めた宇宙(この世)がすべて陰と陽に別れ、木・火・土・金・水の”5つ”に分類されるという前提に必然性はありません。なぜ4でも6でも10でもなく5なのか?陰と陽の2つ、例えば男性は陽、女性は陰とされますが、昨今はやりのLGBTQではありませんが医学的にも両性具有もあるように強引にイメージだけで分類してというような構造主義的な発想は社会構造の分析においては便利かもしれませんが、自然や人体の素の状態を知りたい自然科学や医学には適したものではありません。
そしてこのような”人体を含めた宇宙のあらゆるものは陰陽のどちらかの性質を持ち、5つに分類される”という『前提』がおかしければその後どんなに論理的に話が構築されていたとしても『結論』が正しくならないのは論理学の常識ですね。つまり、東洋医学は演繹的に正しい治療法を導き出せるようなものではないということです。
感覚的・直感的な視点
経絡の図を見た時に、人体(自然界に)にこんなカクカク・ギザギザした不自然な軌道を描くものがあるはずないと感じて、どうにもなじめず経絡・経穴の授業は苦痛でした。(*後日:黄河の流れが不自然にカクカク流れてるということを後で思い出しましたが、あれは山にぶつかって流れが変わるからだそうです。)下図の赤丸の箇所です。私には古代ギリシア人が夜空を見上げて神話の登場キャラクターを、肉眼で見える星で結んで作った星座のようです。一年365日にちなんで人体に365個のツボがありますが、うるう年には1個増えないとおかしいですね。
(出典:『経絡経穴概論』; 東洋療法学校協会 編, 医道の日本社)
その他もろもろ
他にも脈診(寸・関・尺 / 浮・中・沈)も舌診(舌のどの部位がどの臓腑に対応する、などの話)、瞳孔をアナログ時計のように12に分け各臓腑の働きに対応するという考え方、… 部分がそのまま全体を反映するという発想が根底にあります。これが小宇宙→大宇宙的な発想からなのは不明です。手のひら・足の裏の反射区などは正規の東洋医学ではないはずですが大変親和性があるので治療法として実施されていそうです。
東洋医学の功績
ただし、「内因」といって今でいう心理的ストレスなどを重視したり、未病の概念や衣食住すべてが健康・病に関係するという捉え方には大いに共感できます。西洋医学がこの点に着目するまで、こういった症状で困った患者を引き受けてきた東洋医学の大きな功績であったことは間違いありません。
中国の事情
中国医療は人体の解剖が許されない社会の中で生まれ発展してきました。体の中を実際に見ることが出来なかったので想像力を働かせて自然界のアナロジーとして身体を構築していきました。一年が365日なので全身の経穴も365個、12本の経絡は一年は12カ月、あるいは中国内には大河が12あることに因んで、などと言われています。(←どんな症状も経穴への刺激で治せるというならば365個のツボ全部に鍼を打てば話は早いではないか、と思いながら講義を聞いていました。)
中国大陸での絶えず続く易姓革命の過酷な歴史や、中国人の真理の追究よりも損か得かという実利主義的傾向が極端に強いという性質の問題はさておいて、こういったアナロジーは私にとってはまったくのファンタジーでしかありません。アリストテレスは間違いなく大天才だったと思いますが、だからと言って現代で、彼が主張したことをそのまま信じている人がいたとしたら問題です。
西洋医学も完ぺきとは程遠いが”反証可能性”に期待
私の場合は東洋医学に対しても同じように感じてしまいますが、
それでも多くの鍼灸師が東洋医学に魅了され、それに基づいて治療を行っている現実があることを考えると余計な疑問は持たずに勉強すればとても面白い分野なのでしょう。
何千年も続く伝統医療ということがよく言われますが、D・ヒュームが言うように長く続くこととそれが本当に正しいかは全く関係ないので、とにかく自分は間に余計なものは入れずに純粋に「コリ」を無くすことにすべてを掛けよう、という方向でやってきました。
もちろん西洋医学や科学も全く完璧ではないのは当然ですし、特に学問、西洋科学としての「医学」ではなくて、人間が施す「医療」となると文化的要素や政策的な必要性、政治的な力が大いに入り込んでくるので無茶苦茶な議論や慣行も横行している現実があるので、自分がもし東洋医学派でしたら、西洋医学派を見てよくあんな乱暴なことをやっていられるな。。。と思うかもしれません。
「科学」を自分なりにかばうとすれば、C・ポパーの反証可能性ではありませんが、すべての科学的知見は仮説であって反証されない限りにおいて真実である、というような理解ができるので、後の研究で誤りが見つかればその都度、訂正され、だんだん客観的真実に近づいていくだろう、という希望が持てるということです。つまり不完全性が最初から織り込まれていて、でも訂正訂正を繰り返しているうちに徐々に真理に近づいて行くだろう、というスタイルです。これが自分には性に合っているようです(*1)。この点、古典や伝統医療は出来た時が完成形で、たとえ誤りが見つかっても自由に修正を加えるということができないのでこの点は東洋医学派の皆さんどう処理されているのかな?と素朴な疑問を抱いています。
(時計遺伝子、筋膜・ファシアの重要性、脳についての理解、認知心理学などからの深層心理や無意識の重要性、栄養学、運動学、気圧の影響、社会疫学などで明らかにされている社会格差と健康、医療社会学などからの知見である社会政策と人々の健康の関係、文化人類学で明らかにされているような文化的・時代的要因…様々な分野で無視できない重要概念が加味されていく余地がないのです。本来、”問診”に時間をかけるならこういった要素がその患者様に与えている影響を上手に聞き出すことに意識を持っていくべきです。)
一番疑問に思うのは両方取り入れるという立場
実は一番疑問に思うことは、「東洋医学と西洋医学を両方見据えて治療を行う」という意見を聞くことがありますが、この根底からまったく異なる医療を頭の中に同居させることができる柔軟さがすごいと素直に思います。東洋医学あるは西洋医学のどちらかを本気で信じていたら出てこない発想ですし、2つの完璧でない答えが出るので自分だったら「どっちなのよ?」と気になって気持ち悪いと思うのです。このように書くと批判というか皮肉のように聞こえてしまうかもしれませんが、純粋に疑問に思うのです。
職業としての鍼灸師のこれから
最後に一つ、鍼灸師という職業の立場から深刻な実害としては、今の東洋医学的な勢力が支配的な状態のままだといずれは病院でPT(理学療法士)が鍼(ドライニードリング)治療を行うようになることでしょう。そうなると、痛み治療に対してとても効果が高い上に保険が効くという事になり鍼灸師は職を失うことになります。
実はこの点は以前、ドライニードリングの小田先生が当院ご来院されてお話させていただいたときに本気で心配されていました。実証的であろうとする姿勢を積極的に見せないとこのようになっていくことは避けられないと思います。
(*1)ただし、鍼の場合は性質上、新薬の治験のように二重盲検法を使った臨床実験ができないので臨床効果そのものを科学的に検証することが今のところできません。どうしても単に「鍼を刺した、治った、効いた」という「3た」療法的な論文ばかりになってしまうので歯がゆいですが仕方ありません。詳細は鍼の効果を科学的に調べることの困難さをどうぞ。