Notalgia Paresthetica(背部錯感覚症・錯感覚性背痛)- 「届かない痒み」と鍼治療
これまで重度の肩コリ・首コリの患者様を治療させていただく中で、刺鍼時に背中(上背部)や肩甲骨周囲に、痒み、ピリピリ・チリチリする感じの違和感などを訴える方がいらっしゃいました。
また、肩・首の付け根、上背部の治療で、鍼を抜いた後に痒みを感じる方もいらっしゃいました。(「皮膚」というよりも「中が痒い」という表現をされた方もいらっしゃいます)
鍼が凝りに当たると、あちこちに響くことは頻繁にありますが、それらとは全く異なる感じのようでしたので、不思議に思っておりました。
しかし、度々そのようなことがあるので何か報告されている症状であろうと色々調べているうちに原因不明の上背部のかゆみを引き起こすNotalgia Parestheticaという病名にたどり着きました。統一された日本語名があるのか不明で文献により背部錯感覚症、錯感覚性背痛などと表現されています。単に知られてないだけで実は患者数は多いのではないかとの指摘もあります。
Notalgia Paresthetica(背部錯感覚症) とは
片側(左に多い)上背部、肩甲骨の間、の繰り返す掻痒感、蟻走感、痛覚過敏、ヒリヒリ感、チクチクする、痺れ、灼熱感など、間欠的に繰り返すいわゆる錯感覚症で、特徴的なのが「Th2~6」の脊椎神経後根枝のそれぞれの神経支配領域に起こるというものです。
もちろん皮膚に問題がある訳ではないので湿疹など皮膚変化はありません。
痒みは肩や胸に広がることもあるようです。
通常、中年以降で発症する。
海外の文献・サイトでも広く紹介されており、人種、年齢、性別などを問わず(コーカソイド、中年以降、女性に多いなどの傾向は報告されているものの)生じうるとされています。
痒いため手が届く位置にある場合は手で、そうでない場合は物や壁で掻きますが、皮膚(表面)のかゆみではないので発信源に届くことはなく、痒みは楽にはなりません。それでも何とかしたいと表面を継続的に強く掻き続けることで皮膚が硬く変化したり色が黒ずんでしまうことが多々あるようです。
原因・メカニズム
現在のところ原因やメカニズムは不明(☞ study on pathogenesis.2000.)ですが、大まかには”T2~T6胸椎レベルで胸椎神経に何らかのダメージ、変性、あるいは異常興奮が関係するだろう”という見方が一般的のようです。
様々な仮説が立てられています。
例1: 筋肉や骨などが神経を圧迫し神経の血流が妨げられると神経が腫れ、損傷が生じる。過剰興奮・異常信号を発するようになりそれが脳に伝わると痒みとして感じる
例2: Th2~6の脊椎神経後根枝は、僧帽筋(文献によっては多裂筋)を貫いて鋭角的・直角に上行している。 僧帽筋が厚い場合に、神経枝が筋肉により圧迫されることで起こる。☞ :Mirna Šitum ら2018など。
例3: 長期臥床、外科的治療、外傷などによる神経圧迫も原因となり得る。また、一部、遺伝的要因の可能性もある。
例4: 患者のMRI所見で脊椎の変性が認められる者が多いことから、脊髄神経の神経根の圧迫・絞扼による神経の機能異常とする説。末梢神経絞扼障害は、末梢神経が隣接する組織の機械的刺激によって限局性の障害や炎症を起こしたもので、その結果末梢神経ニューロパシーが惹起され、皮膚錯感覚症を生じるとする。(⇔ 一見もっとものように思えますが、脊椎損傷のある人全員が症状を発症するわけではなく、健康な脊椎の多くの人が背痛症になることから一つの仮説にとどまっています。腰椎の変形の方が大きい場合が多いのに腰レベルでこの痒み症状が出ていないことを考えると分が悪い感じがします。)
通常の治療
ステロイドや抗ヒスタミン薬は効かない。
この疾患の患者の満足のいく緩和を達成することは困難とも言われます。カプサイシン、ボツリヌス菌タイプA、メントール、その他などが効果的であったとする報告も一部なされていますが、はっきりと長期的な改善がみられるような効果的な治療法は見つかっていません。
2014年に発表された論文ではボツリヌス菌注射、俗に”ボトックス”の治療効果を調べたところ結果は芳しくなかったことが報告されています。
一例:安全面は問題なかったが一人として完治というか長期的に症状緩和が得られた人はいなかった。ただし、被験者数が5と少ない。☞ Notalgia Paresthetica: Treatment Using Intradermal Botulinum Toxin A; L. Pérez-Pérez. et al., Actas Dermosifiliogr, 2014; 105(1):74-77
←この実験で強く思うのは、実際に鍼治療でこの症状と思われる患者様を診ていて、どの部位にどの深さで打つかが一番大事なのですが、この論文内のfig1,B C で見た感じ最初から効果が出なそうな位置に印がついているので本当にBotoxに効果があるのかないのかはこの論文では明らかにされていないとみるべきだと思います。どのくらいの深さに注入されたかもは論文からは不明。
その他、手術や神経ブロック注射、電気刺激療法、紫外線療法、鍼、オステオパシー、運動など様々試されているようです。☞ :Mirna Šitum ら2018など。
当院の治療との関係
以上を踏まえてですが、
もし、当院でこれまでたびたび遭遇している肩・首の付け根、上背部の治療時・治療後における「痒み、ピリピリ・チリチリする感じの違和感など」が、Notalgia Parestheticaであった場合、神経根の絞扼などが直接的な原因ではないと考えられます。
理由は以下の通りです。
今まで3つのパターンがありました。
1.鍼が皮膚を通り、僧帽筋の筋上膜に触れた時に「チリチリ、あるいはピリピリ感」を訴える場合と、
2.僧帽筋を通過して次の筋層(頭半棘筋や頭板状筋、菱形筋など)の筋膜に触れた時、
3.一番奥の多裂筋(の筋膜?)に鍼が到達した時(これについては筋膜か筋肉そのものか区別して把握できていません)
2.が一番多いです。
要するに、すべて筋膜(特に僧帽筋の下の筋層の筋膜)に触れた時に、通常の響きと異なる持続的に電気が走るようなチリチリ・ピリピリした感じ、痒みを訴えるという症例が多く、そのことから、筋膜上のC線維・Aδ繊維(ポリモーダル受容器)の異常によるものだと考えております。(→ポリモーダル受容器参照)
そして何度か治療を行っていると、脱感作によりこのような異常感覚も生じなくなっていきます(→鎮痛パラドックスをご参照ください。)
ただし、これはあくまでも当院で遭遇した患者様の訴えと、Notalgia Paresthetica(背部錯感覚症)が同じものであるという仮定が正しかった場合の話ですが、皮膚の奥のかゆみや痛みを生じさせる組織は何だろうか?と考えた場合、感覚器の豊富な筋膜上におけるポリモーダル受容器(C線維・Aδ繊維)の感作が原因というのは十分考えられる話です。
図:僧帽筋とその下層の筋群
以上のことから、当院はこのNotalgia Paresthetica(背部錯感覚症)という症状に対して大変、関心を持っております。
もし、Notalgia Paresthetica(背部錯感覚症)でお悩みの方で、当コンテンツをお読みになられてご興味がおありの方がいらっしゃいましたら、初回の治療を初診料なしで診させていただきますのでご連絡いただければ幸いです。
(イメージ)
*白く映っているのが筋膜です。臨床上、経験しているのは肩甲挙筋の筋膜に触れた時ではありませんがイメージとしてはこのような感じです。
頭半棘筋の筋膜(頭板状筋と頭半棘筋の境)に鍼先が触れる時(上図)、肩甲骨の肩甲棘の付近でチリチリした痛痒い症状を訴える例を確認しています。これが錯感覚性背痛と同じものであるならば、その正体は筋膜にあることになる。筋膜には豊富な感覚器が存在することを考えると十分ありうる話である。
筋膜上のポリモーダル受容器の感作の一例、Fasciaの異常の一形態という事になるかも知れません。
施術風景の一例 < 背部錯感覚症(錯感覚性背痛)と思われる患者様の治療風景>
この患者様の場合、背部錯感覚症(Notalgia Paresthetica)でよく報告されているように左肩甲骨内側に出る痒みを掻こうとし続けたためその部位の皮膚が黒ずんでいる。痒いと思っている場所に痒みの震源地があるわけではないですし、もし場所が一致していたとしても皮膚に震源地があるわけではないので深さ的にも掻くことはできません。ただ痒くてそう感じる場所を掻かざるを得ないのでだんだん皮膚の色が黒ずんできてしまいます。
(*病院・皮膚科でこの症状に対する診断をしてもらえることが少ないためこの患者様が背部錯感覚症の確定診断を受けて当院に来院されたわけではありません。伺った症状からおそらくそうであろうと考えます。海外の論文でも、単に他の痒みとして診断されるなどして見過ごされているだけで実際のところはもっと患者数は多いのではないか?と指摘されています。 ☞ Notalgia paresthetica: clinical features, radiological evaluation, and a novel therapeutic option; Cevriye Mülkoğlu.,et al. BMC Neurol. 2020 May 16;20:191)
痒いと感じているところから離れたところにある、痒み症状を発現させる震源地に的確に刺鍼できれば(今まで見てきた数例ですが)症状をなくすことができています。
ただし、震源地の特定はできていて、そこに対する刺鍼も十分行えているにもかかわらずはっきりとした症状軽減ができていないケースが1例あり、この患者様に対する治療は本当に難航しています。捉え切れていない部位があるのか、他のメカニズム(痒みの出るパターンから自律神経の関与も考えられる)も関わっているのか…色々考えますが今のところ分かりません。震源地の場所は間違いないのですが、、、この患者様の場合、表層の僧帽筋レベル、中間層の頭半棘筋レベル、深層の多裂筋レベルそれぞれで強い反応が出ていますので今までの患者様と感触が違います。この患者様の例では上記の神経線維の絞扼の可能性もあるのかという気もしています。また、痒みの出方に日内変動・体温変化による変動(おそらく自律神経の働きと連動している)も見られたりするので難しいです。
参考)
Notalgia Paresthetica: A Novel Approach to Treatment with Cryolipolysis.; Philip R. Cohen., Open Access Review, Article DOI: 10.7759/cureus.1719.
Notalgia paresthetica: a study on pathogenesis, Report.; Ekin Savk, et ar., International Journal of Dermatology 2000,39,754-759.
Notalgia Paresthetica Relieved by Cervical Traction. BRIEF REPORT.; Rhonda Low, MD, CCFP, FCFP, FAAP, Leah A. Swanson, MD and David L. Swanson, MD, FAAD., J Am Board Fam Med 2017;30:835– 837.
Notalgia Paresthetica Alexander K.C. Leung, MD, and Benjamin Barankin, MD., www.consultant360.com , December 2014, CONSULTANT. 807-808.
Notalgia paresthetica: the unreachable itch.; Carolyn Ellis, D.O., Review | Dermatol Pract Concept 2012;3(1):2.
Successful Treatment of Notalgia Paresthetica With Botulinum Toxin Type A Pamela Kirschner Weinfeld, MD., (REPRINTED) ARCH DERMATOL/VOL 143 (NO. 8), AUG 2007 WWW.ARCHDERMATOL.COM.980-982.